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「菊花の約」漫画と原話
2006-09-13 Wed 16:55
何故か引続き心惹かれてます「菊花の約」。 図書館で予約していた木原敏江さんの『雨月物語』(マンガ日本の古典28 1996年12月中央公論社発行)を借りに行ったついでに、上田秋成の原作関連本にも目を通してみました。

木原版は、原作9話の内「菊花の約」の他「浅茅が宿」「吉備津の釜」「蛇性の婬」(峰原版では「婬」が「淫」でした)の4話を漫画にしています。ほんの少し作者の思いを込めた脚色をしているお話もありますが、「菊花の約」はほぼ原作に忠実です。この話を初めて知った頃は、江戸時代の出来事なのだろうと勝手に思っていましたが、八雲版ではちょっと判りにくい時代背景なども、絵で見ると理解しやすいです。舞台は戦国時代です。山本タカトさんが描いた丈部左門は、峰原解釈によるのか前髪の若侍風髷なんですが、木原さんの左門は髷を結わない肩までの垂髪で、学者らしい雰囲気になっています。

木原さんは「菊花の約」についてあとがきで、
これは究極の同性愛だそうです。秋成研究の偉い先生も断言しています。
赤穴が5歳年上という以外の二人の容姿の説明は原作にはいっさいありません。なぜだ?
と書いてらっしゃいます。

日本では、武士の時代に、主従の信頼関係(それはそれでツボですが)を賞賛する逸話はありそうですが、あかの他人が義兄弟として信義を尽くすというのは、あまり無いかもしれません。しかも左門と宗右衛門の互いの信頼に応えようとうする心情は、鬼気迫るものがあるわけです。何といっても命がけですし。単なる友情というには、あまりにも濃いですよね。その執着がどこから来るのか。男同士が惹かれあう理由に、容姿の問題を云々する必要はない、と秋成さんは思ったんでしょうか。一読者としてはとても気になりますが。

その秋成さんの原作は、「新潮日本古典集成」(1979年発行)で読みましたが、浅野三平さんの解説によると「菊花の約」の原話は中国の『古今小説』巻十六にある「范巨卿鶏黍死生交」という短編だそうです。他に図書館にあった『秋成の研究』(重友毅 著 1971年文理書院発行)によると、その後に書かれた『警世通言』巻十九にも同じ題名の話があるそうです。秋成の時代には、この様な中国小説がよく読まれていたらしいです。それらの小説は中国の古典を原話にしていて、「范巨卿鶏黍死生交」も5世紀に書かれた『後漢書』独行伝に書かれている范式の逸話を元にしています。後漢の時代に太守(知事職のようなもの?)を勤め人望があった范巨卿(范式)の伝記です。その中に、彼が当時の国立大学で学んだ若い頃、学友だった張元伯と深い友情で結ばれていたという話があります。

2年後の再会を約し范巨卿の元を去った張元伯が、約束の期日を違えずに、酒肴を用意して待つ范の郷を訪ねたという下りには、『雨月物語』を思わせる范母子のやり取りの描写もあります。そして、死に際して范の夢枕に立ち「葬儀に間に合うよう来て欲しい」と告げた張に応えて、馬を走らせその許へ駆けつけたという范の様子が記されています。范が着く前に張の葬列は出発するのですが、墓所に棺を下ろそうとすると棺を引く車が動かなくなってしまいます。そこへようやく范がたどり着きます。泣きながら駆け寄り、棺を叩いて別れを告げた范が引き綱を手にすると、棺は初めて動き出したというのです。その後、范は墓所の傍らに寝泊りして、張の為に塚や植木を整えたというのですから、並々ならぬ思いがあった事がわかります。

『秋成の研究』によると、『古今小説』や『警世通言』にある「范巨卿鶏黍死生交」は、農村出の二人が役人を目指して科挙の試験に向う途上、病に倒れた范を張が看病するという、『雨月物語』の元になったと思われる話になっているそうです。

范の回復を待つうち、試験の期日は過ぎてしまいましたが、范はそこまでしてくれた張に感謝し、二人は義兄弟の盟を結びます。やがて張の元に戻る事を約して范は故郷に帰り、約束の期日を守るために命を落とす、という展開になるわけです。こちらでは死んだ事を告げに来るのは范の方で、葬儀に駆けつけるのは張です。でもその後が、凄い。何と張は范の後を追って死に、遺言により同じ墓に葬られるという結末なのです。それを伝え聞いた後漢の明帝は、科挙を通って出仕した訳でもない二人に位を授け、その信義を讃えた、という事になっています。

秋成もさすがにそこまでは書く気になれなかったのでしょうね。信義の美徳のお話も、後追い自殺して同じ墓に入るって所までいくと、日本人的美意識に合わなくなりそうです。JUNE的美意識にはマッチするかもしれないですが、江戸文学的には後追い自殺より敵討ちだったんですね。とは云え、たった一人で赤穴従兄弟の屋敷に乗り込んだ左門の行動は、下手したら返り討ちに遭うという意味で命がけだし、成功しても社会的に認められない逃亡者になるしかない行為です。秋成も原話の結末に心動かされる部分はあったのでしょう。

それから、秋成が物語の舞台に選んだ出雲では、16世紀に尼子経久が城主を騙し討ちして城を乗っ取ったという史実があり、尼子の家臣には赤穴氏もいたそうです。しかし、宗右衛門とその従兄弟は架空の人物で、『雨月物語』でのお話は中国の小説を翻案した秋成の創作の様です。すると小泉八雲の「菊花の約」も、出雲松江の伝承などではなく、出典は『雨月物語』という事になります。

「新潮日本古典集成」の解説で浅野三平さんは、『雨月物語』を「執着の文学」だと言っておられました。自ら命を懸けて信義を伝えた「菊花の約」の二人は、不信不遇の内に命を落とした『雨月物語』の他の人々以上に、究極の執着を現しているのかもしれません。
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