スポンサーサイト
-------- -- --:--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
別窓 | スポンサー広告 | ↑top
「平家物語」もBLに満ちている?
2009-04-05 Sun 20:54
「源平紅雪綺譚」を読んで、懐かしい古典「平家物語」を久しぶりに手に取ってみました。実は10代~20代の頃ハマっていました。小学生の頃見たTV時代劇「女人平家」や「新・平家物語」で源平時代にハマって、その後中学生の頃に教育TVで放送していた「平家物語」講座を見て、古典平家の魅力を知りました。番組の中で朗読される原文の、流れるようなテンポの美しさが良かったんです。さすが平曲として語られたというだけあって、耳で聞いてたのしむ古典文学だなぁ、と思ったものです。

その頃は、冒頭の「祇園精舎の鐘の声…」やら高倉天皇と小督の悲恋やらに心を惹かれていましたが、今にして思えば、主従を中心に男同志の強い絆とか深い情愛を物語る逸話の多い古典作品でもありました。木曽義仲と今井四朗、平知盛と平内左衛門家長のように、その最後をともにする乳兄弟主従というのも見逃せません。ダ・ヴィンチの2月号特集「世界はBLに満ちている」で、三浦しをんさんと松岡なつきさんの対談でも、BLが匂う作品として「平家物語」を取り上げてらっしゃいました。

世阿弥が能の題材にし、歌舞伎にもなっている「俊寛」の話も印象深いです。打倒平家の企てをした鹿ケ谷の陰謀が発覚して、藤原成経・平康頼とともに鬼界ヶ島に流罪となった俊寛僧都は、平清盛の娘徳子に皇子が誕生した恩赦でも、ひとり許されず島に残されました。そんな彼のもとへ、侍童であった有王が、遥々都から訪ねて行きます。苦労を重ねて島に辿り着き、やっとの事で探し当てた主は、痩せ衰えて見る影もなく、やがて自ら食を断って命を落とします。その最後を看取り、遺骨を胸に帰京した有王は、遺族の行く末を見届けた後に出家し、俊寛の菩提を弔いながら諸国修行の旅に出るのでした…。

それから平家側では、平重盛の嫡子維盛の話も哀れです。清盛の直孫にもかかわらず、平家一門の中で孤立していた維盛は、一の谷敗戦の後、高野山で出家し入水自殺しています。その時、8歳から彼に仕えていたという石童丸という少年が、共に髪を下ろし、主の後を追って入水しています。死後も傍近く仕えようという心映えは何と深い想いなのでしょう…。

もちろん俊寛にも維盛にも妻子があり、ともに自らの死にあたって家族の行く末が一番の心残りである、という記述があります。有王や石童丸も主のその思いをともに心に掛けています。しかし、妻子への思いとはまた別に、生死をともにする主従の関係には、時に家族以上の絆を感じます。

少年たちの物語もさることながら、壇ノ浦敗戦の折、次々入水していく平家の人々の中で印象的だったのは、「兄弟手に手を取り組み、鎧の上に碇を負うて、海にぞ沈み給ひける。」と書かれている、清盛の弟、経盛と教盛です。経盛は「源平紅雪綺譚」の敦盛や経正の父で、教盛は壇ノ浦で義経を追い詰めた能登守教経の父です。共に孫もいるような老兄弟なんですよね。この後に維盛の弟たちと従弟も「手に手を取り組んで」となるわけですが、この孫世代よりも、清盛亡き後は一門の重鎮であり、平家の栄枯盛衰をつぶさに見て来ただろう老兄弟に、公私を通じて長年苦楽を共にした二人ならではの、互いへの情愛を感じるのです。

他にも諸々あったかもしれませんが、今も忘れ難いのはこの三つのエピソードです。特に有王の話は、能や歌舞伎にもなるだけあって、ドラマチックでした。平家にハマったばかりの頃は、有王の忠義に心打たれたものですが、BLに目覚めてからは、何としても俊寛に会おうとする心情に鬼気迫るを感じる様になりました。何か忠義を超えていますよね。
スポンサーサイト
別窓 | BL周辺の作品 | コメント(0) | トラックバック(0) | ↑top
<<富女子宣言 | ホーム | 源平紅雪綺譚>>
コメント
↑top
コメントの投稿














管理者だけに閲覧

↑top
トラックバック
この記事のトラックバックURL

FC2ブログユーザー専用トラックバックURLはこちら
↑top
| グラス・エイジ |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。