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漫画化されるジャンプ編集部
2009-03-22 Sun 17:36
昨年秋から「週刊少年ジャンプ」連載されている「BAKUMAN」(原作:大場つぐみ/漫画:小畑健)、1月にコミック1巻が発売になって、今月はもう2巻が出ました。原作と作画でコンビを組む二人の少年が、漫画家を目指す物語です。そして主人公二人が漫画原稿を持込んだ先は、集英社ジャンプ編集部! 

「この作品はフィクションです。実在の人物、団体、事件とは、いっさい関係がありません」としながらも、月例賞やら手塚賞の話では、審査員が稲垣先生、尾田先生、鳥山先生、岸本先生、SQの編集長…とか、赤丸ジャンプ掲載&注目度アップの狙い方、契約料や原稿料の話など、リアリティ有りげなエピソードを交えてます。現実は更に厳しいのでしょうが、面白くなくれければ雑誌に掲載されることのないシビアな実力社会に、二人が夢を持って挑戦して行く展開です。けれどこちらはあくまでフィクション。

それと対抗するかのように(違うか)、4月24日発売の「週刊コミックバンチ」21・22合併号(新潮社)より新連載の「少年リーダム~友情・努力・勝利の詩~」は、週刊少年ジャンプ3代目編集長だった西村繁男さんの著書「さらば、わが青春の『少年ジャンプ』」を原作に、次原隆二さんが作画を手掛ける作品です。次原さんは、黄金期ジャンプの人気タイトル「よろしくメカドック」(知りません)の作者だそうです。情報源はこちらです。

「さらば、わが青春の『少年ジャンプ』」は、西村さんが集英社を退社した直後の1994年5月に飛鳥新社より刊行されました。週刊になる前の「少年ジャンプ」創刊時より編集に携わり、本宮ひろしさんをはじめとし多くの人気少年漫画家を育て、「ドラゴンボール」連載時には編集長をつとめていた西村さんの、自伝的少年ジャンプ史です。その後「週刊少年ジャンプ」が「マガジン」に発行部数首位の座を譲り渡した後の話を加筆した幻冬舎文庫版が、1997年11月に出ています。

ジャンプが前人未踏の発行部数を更新し出版界の話題となる中、メディアミックスやラブコメ路線に疑問を感じつつ、少年漫画誌としてのジャンプにこだわり続ける編集者気質に熱いモノを感じます。また、編集者としてより良い少年漫画誌を作り読者を獲得しようと情熱を傾ける一方で、労働組合委員長としての活動や、トップ人事に関わる問題で揺れる心情なども語られる、企業戦士モノの側面も持っています。

この作品はノンフィクションですが、自伝ですので主観的部分も多く、実績を上げていく現実のジャンプの方向性とは別に、西村さんの理想とする少年漫画誌の在り方というのもあり、その葛藤なども感じられます。現ジャンプや出版界の状況を考えると、古き良き時代のノスタルジーを感じさせる部分もあると思います。それも含めて、読み終えた瞬間、思わずこの本を抱きしめてしまいたく成る程、ジャンプとそれを作り上げる人々が愛しくなってしまう作品でした。(最初に読んだ飛鳥新社版は図書館で借りましたが、実は本当に抱きしめました^^;)

「ドラゴンボール」にハマってる当時、その関連本として読んだわけですが、掲載誌であるジャンプへの思い入れもあったせいか、余計に感動しました。私的ベストノンフィクション上位に入っているので、漫画になったらどんな感じなのか、ちょっと気になります。

「ドラゴンボール」ファンとして、またその後もジャンプ作品を読んでいる者として、印象に残っているのは、「第七章 発行記録への挑戦」に出てくる鳥嶋和彦さん(現集英社取締役)についての記述です。当時編集者だった鳥嶋さんが鳥山明センセを見いだして育て、「Dr.スランプ」「ドラゴンボール」がメディアミックスによって空前のヒット作品となったことが、「少年ジャンプ」600万部の快挙達成の原動力になっていったと語っています。それは鳥山センセのパワーによるものとしながら、一方で、プロデュースした鳥嶋さんについては、その手腕は認めながらも、少年漫画誌としての「ジャンプ」の方向性を誤るのではと懸念していました。

西村さんは1986年に「週刊少年ジャンプ」編集長を後進に引継ぎ「スーパージャンプ」を立ち上げたそうですが、当時既に400万部を超えていた「週刊少年ジャンプ」発行部数は、88年に500万部を超え、94年末(95年新年合併号)には最高653万部に達したと言われています。鳥嶋さんは、その間も「週刊少年ジャンプ」の敏腕編集者として活躍しておられましたが、93年にゲーム雑誌「Vジャンプ」を立ち上げて編集長となり、「週刊少年ジャンプ」を離れました。その後95年から「週刊少年ジャンプ」が発行部数を落とし始めると、低迷打破の切り札として編集長に抜擢され「週刊少年ジャンプ」編集部に戻っています。

鳥嶋さん編集長就任後も発行部数は下げ止まらず、97年には400万部となり、週刊少年誌発行部数首位の座を「マガジン」に明け渡しました。98年2月時点で「マガジン」418万部、「ジャンプ」390万部だったそうです。その後両者とも部数を下げていますが、「ジャンプ」は300万部代に踏みとどまって、2002年には「マガジン」から首位の座を奪還しています。社団法人日本雑誌協会の算定によると2008年10~12月期の発行部数は293万部で、169万部と下げ続けている「マガジン」とは逆に、08年1月の277万部あたりを底に微増を続けているようです。

編集長だった鳥嶋さんは、その後もメディアミックス化を更に推し進め、ジャンプ作品を中心とした版権事業の責任者としてライツ事業部長に就任し、2004年には取締役になっています。アメリカへのジャンプ誌進出や、ハリウッドでの「DRAGON BALL」実写映画化も、その事業の一環として彼の目指したものでしょう。鳥山センセの初代担当編集者だった鳥嶋さん、「Dr.スランプ」のDr.マシリトのモデルとしても有名ですが、ピッコロ大魔王も彼がモデルだったと、たしか何処かで鳥山センセが書いていらしたような…。

そんな訳で鳥山ファンとしては、つい鳥嶋さんに注目してしまうわけですが、「さらば、わが青春の『少年ジャンプ』」に心を動かされた身としては、西村さんが現ジャンプの奮闘や鳥嶋さんの活躍をどう感じておられるのかも、気になるところです。「BAKUMAN」と「少年リーダム」、個人的には、何だか勝手に鳥山VS西村の図式で見てしまいそうです。

ところで、話は長くなりますが、「週刊少年ジャンプ」が最高部数を達成した頃、90年10月の国勢調査を基にした93年の推計人口で、ジャンプが読者として想定しているであろう10歳~19歳の男子は、およそ875万人でした。もしこの世代だけがジャンプの読者だとしたら、4人に3人は雑誌を買っていた事になり、読んだ人はもっと多いという事になります。ジャンプ653万部というのは、それだけ驚異的な数字でした…。

しかし、10代男子だけでこれだけの数字は取れませんよね。20代以上だってまだ読んでいたはず。現に私は「ドラゴンボール」連載終了を読者だったダンナの職場の方から教えてもらいました。そして、当時既に二次創作で多くのジャンプ系作品が作られていた事を考えると、かなりの女性読者(大人含)がいたことも想像に難くありません。西村さんが活躍されていた頃「友情・努力・勝利」をキーワードに人気作品を生み出していたジャンプですが、昨今はそれに加えて絶対女性受けを狙っていると思われる作品もありますよね。

私が「週刊ジャンプ」を買い始めたのは、「ヒカルの碁」の続きが気になったからです。「ドラゴンボール」はコミック読みでした。アニメ「ヒカルの碁」を見てハマった後ですから、奇しくも「マガジン」から首位を奪還した2002年頃です。連載作品には、「ヒカルの碁」と同日に同じTV東京でアニメ放送が始まった「テニスの王子様」もありましたが、この作品はあきらかに女性読者を意識してるなぁ、と思いました。

しばらくして「銀魂」や「D.Gray-man」の連載も始り、私も読んでました。2作品ともその後アニメ化されましたが、これらの作品も女性に随分人気があった様ですね。「銀魂」は、あの馬鹿バカしさと一途さ、下品さと人情味、そのそこはかとなく微妙なバランスが好きなんですが、アンソロ本がたくさん出ているのを見るまで、そんなに二次創作意欲刺激する作品だとは気がつきませんでした(笑) 

ジャンプフェスタの参加者にも女性が多くなっているそうですし、西村さんの頃にはまだ顕在化していなかった女性読者を、今では無視できない状況になっているのは確かでしょう。

参考:
月刊「創」1998年4月号(創出版)
「日本国勢図会」1995/96年版(国勢社)
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