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「やおい」って「BL」?
2007-01-25 Thu 08:53
前の書込みをしてから思い出したことがあります。
それは以前、某まんだけに出かけて、BL作家さん方の同人誌探そうかしらと店内をうろついていた時のこと。高校生とおぼしき女の子3人連れがやってきて、何やら楽しそうに語らいつつ、アニパロ系同人誌のあたり見て廻っていました。

近頃の高校生ってどんな作品好きなのかな? と耳ダンボになりながら、それとなく様子を伺っていると、ひとりのお嬢さんが、ジャンル紹介の手書きPOPの文字を見ながら
「やおいって何?」
と元気良くお友達に質問を・・・。
思わず振返ってしまいそうになりました(笑)

「やおい」知らない子もここ来るわけね。腐女子なお友達に無理やり付合わされてるのかしら。と思いながら、聞いてない振りでお友達の回答を待っていると、
「ああ、BLって意味」
という大変手短な説明が・・・。質問したお嬢さんも「ふーん」と理解した様子。「やおい」という言葉は聞き慣れなくても、「BL」が何かは知っているわけなんですね。さすがに、それも知らないお友達とはこのコーナー見ないよね、と妙に納得。怪しいオバさんが、そんな感想を持ちながら自分たちの会話に聞き耳を立てているとも知らず、お嬢様方は別のコーナーへ移動して行きました。

でも、「やおい」=「BL」っていうのは、ちょっと違うように思いますので、機会があったらお友達に教えてあげて下さいね。と気がかりなオバさんでした。余計なお世話ですが・・・。

ところで、あのお嬢様方の視角に私は入っていたでしょうか?
自分の母親と同世代のおオバさんが、あの店のあの場所に居たことをどう思ったかしら? 
それはそれで興味あるような、知るのが怖いような・・・。
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「ボーイズラブ」って一般用語?
2007-01-20 Sat 18:30
年甲斐もなくこんなブログをやっている私ですが、普段は真面目な(?)40代パート主婦としての日常を過ごしております。そして職場での一番楽しい時間は、同期パート仲間と過ごす昼休み。幸いとても良い仲間に恵まれて、家庭や職場の愚痴話を中心におしゃべりに興じ、ストレス解消の時間となっています。

映画・演劇・美術館好きも多いので、そんな話題でもよく盛り上がります。先日は、その仲間に薦められて観た『フラガール』の話題になったので、ついでに同日(レディースデイだったので)映画館ハシゴして『王の男』も観たよ、という話をしました。そしたら、いきなりこんな質問が! 
「その話って、ボーイズラブなの?」
なんか聴き慣れたような単語だなぁ、と思いながら、
「別にあからさまにそういう話じゃなかったよ~、どちらかというと友情話」
と平然と答えた私でしたが、次の瞬間ハタと考えたました。
彼女「ボーイズラブ」って言ったよね、今・・・。

私にとっては毎日目にする見慣れた単語ですが、よく考えたら、普通の会話の中で生声で聴いたの初めてです。確かに最近、一般の新聞や雑誌はてはTVのニュースまで「乙女ロード」の話題なんか取上げたりしてましたから、いつの間にか普通に浸透したんですかね、この単語・・・。

「その話って、同性愛なの?」とか「ゲイなの?」よりはかなりソフトですが、それと同じ意味で使うと、何か微妙にニュアンスが違うような気も・・・。そいう自分も、聞かれた時は即座に同じ意味だと解釈して答えてましたが(^^;)
それにしても、いつの間にか同性愛を示す単語として定着していたんですか「ボーイズラブ」って? 彼女とそれについて話してみたい様な気もするけど、怖くて訊けない(汗)

P.S.
『王の男』の話題は別ブログにて続けます(笑)
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コミック版『王の男』
2007-01-17 Wed 10:16
原作 映画「王の男」(イ・ジュンイク監督作品)  
漫画 冬乃郁也  
角川書店単行本コミックス 2006年11月発行
初出「CIEL」2006年11月号別冊付録(描き下ろしあり)

小説について書いたので、漫画についても触れておこうと思いまして、すみませんがまだ続きます『王の男』の話題(笑) このコミック版も、映画公開直前の11月末頃、小説とほぼ同じ時期に発売されました。「CIEL」初出ですが、あすかシエルコミックスではなくて、一般コミックスで出ています。

冬乃郁也さんは初読みの方だったので、まずプロフィールを見たら、代表作の紹介がないので新人さんなのかと思っちゃいました。でも2003年からコミック出されてる方で、崎谷はるひさんの小説『恋は乱反射する。』(ルビー文庫)でイラストを担当され、あすかシエルコミックスから同作品の漫画版(2006年12月)も出されてるんですね。存じ上げなくてすみません。
『王の男』は一般コミックだからBL系の代表作は載せなかったんですね・・・。

さて内容ですが、かなり端折ってる部分もあるものの、2時間の映画作品をよく一冊に上手くまとめてあるなぁ、と感心しました。主だった出来事だけを順に描いていくんですが、そこに至る過程を回想として入れているので、何故そういう展開になったのかわかる様になっています。このやり方を映像でやったら、カット割りがうるさ過ぎてかなり見づらそうですが、漫画なら大丈夫。特に京劇風の芝居を見せる場面は、コマ割りを使った同時進行の回想を、チャンセンとコンギルそれぞれ1頁だけで描いていますが、映画では出来ない表現方法だと思いました。
ただ、もしかすると映画を観てない方にはちょっとストーリーが解り難いかもしれません・・・。

webKADOKAWAの立読み頁でも確認でもきますが、タイトルが出る前の一番最初の頁に描かれているのは、王の側近チョソン大臣です。チャンセンたちの風刺劇を初めて目にする場面なんですが、「全ての悲劇はここから始まった・・・」という感じの、上手い導入だと思いました。今までの感想で全く触れませんでしたが、実はこのチョソン大臣が物語のカギを握っている人物なんです。漫画では映画よりもそれを強調する演出になっています。終盤の、芸人を宮殿に呼び入れた理由を問われる場面。自嘲的にそれに答えるチョソンと、燕山君の残虐な仕打ちを受けるチャンセンとを同時進行のコマ割りで描いて、結局は政争の道具として使い捨てにされるしかない芸人たちの運命を端的に物語っています。そのかわり風刺劇を始めるきっかけになったユッカプたちとの関係は、全編に渡ってすっかり省かれています。

ストーリー全体は、映画と少し違って主にコンギルの視点で描かれていますので、映画では解りづらい彼の内面が現れています。映画を観た後、小説より先に漫画を読んだのですが、なるほどコンギルはこういう気持ちで動いてたのね、と少しすっきりしました。ただ、あとがきで冬乃さんご自身も書かれてますが、これはあくまで冬乃さんの解釈ということなんですね。

映画のコンギルは、たぶん作為的になのだと思いますが、内面の解り難い人物になっています。チャンセンと燕山君の間で揺れ動く気持ちに、何よりコンギル自身が戸惑い誰にも言えず葛藤している。それが物語の重要な部分でもあるからなのでしょう。私が映画を観ていて感じた、コンギルに対する苛立ちを通り越した怒りにも似たやるせなさというのは、この内面の解りづらさから来るものなんです。実はそれがコンギルに強く惹かれる理由でもあるんです。そしてこの苛立ちを一気に解消してくれる様な、あのラストでのチャンセンとの遣り取りが生きてくるんです。見ようによっては4人心中とも言える悲しい結末(史実では燕山君ここでは死にませんが)なのに、決してただのアンハピーエンドとも感じませんでした。監督の思う壺ですね、私(笑)

そういえば、漫画でも触れてなかったですね、指輪紛失事件でっち上げの件・・・。あれは編訳者の前川さん独自の解釈なんでしょうか?

ところで、冬乃さんの描くコンギルはBLのセオリーに則っているようで、チャンセンより随分小柄です。映画でコンギルを演じたイ・ジュンギさんは、チャンセンより少し高いかもと思う長身なんですが。そしてチャンセン、ワイルドながら中々いい男になってます。でも、所謂BL的要素は映画以上に描かれていなくて、皆無と言ってもいいです。冒頭の貴族の寝所に呼ばれる場面も、燕山君にキスされる場面も、冬乃さんは描かれませんでした。

反対に漫画でだけ描かれれたのが、小説ではプロローブにもある、コンギルが初めてチャンセンに綱渡りを教わるところ。映画では映像化されてませんよね、たしか。それを冬乃さんは、終盤の人形劇の場面でコンギルの回想として描いています。可愛いですよ二人とも。コンギル、子どもの時からあの髪型でした。

映画を観た後にも、漫画や小説があったらつい読みたくなるファン心理。四半世紀以上前、『犬神家の一族』最初の映画化の時から始まった、角川書店のメディアミックス戦略。今もすっかりハマッている私です・・・。
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小説版『王の男』
2007-01-16 Tue 00:22
キム・テウン原作 チェ・ソクファン脚本  
前川奈緒 編訳 角川文庫2006年11月発行

『王の男』の小説があると知って、原作なら読みたいと思って手にしたんですが、脚本を小説化したものでした。それはそれで、映画をもう一度観るような楽しみがありそうだと読んでみました。確かに映画にほぼ忠実に書かれていて、その上台詞だけでは解りにくかった登場人物の心情なども詳しく書き込まれていました。物語をより理解できて良かったのですが、自分が映画から受けた印象とは微妙に違うニュアンスの部分もあって、ちょっと複雑な気分にもなりました。

一番ショックだったのは、映画の感想でも触れたコンギルの窃盗事件の下りです。王の怒りを買って牢に繋がれたチャンセンが、刑吏に語って聞かせる昔話。それは、かつて屋敷に奉公していた時に起こった、奥様の指輪紛失事件についてでした。誰も犯人が名乗り出ないのでチャンセンは「自分が盗んだ」と言ってしまい、主人から今の様な酷い目にあわされた、という。それを密かに聞いていたコンギルは、王の前で人形劇に託して、「本当は自分が盗んだ」と告白したらチャンセンが一緒に逃げてくれた、という昔話を続けます。この話、映画見てそのままに信じてたんですが・・・。たぶん二人はそれぞれ貧しい家に生まれて、子どもの時に奉公に出された屋敷で知合い仲良くなった。子どもだったコンギルは、つい魔がさして美しいモノを手にとってしまったんじゃないかと・・・。

でも違ったんですね。ノクスの様に彼を陥れようとする者が、その時もいた。状況はコンギルに不利で、無実を証明出来るとは思えなかった彼は、先に名乗り出ていたチャンセンに「(君ではなく)自分が盗んだ」と告げた・・・。チャンセンもコンギルが犯人にされてしまうだろうと思ったから先に名乗り出た・・・。確かに、ノクスに仕組まれた今と同じ状況の方が、この昔語りは意味があります。なるほど、そうだったのか! でも映画からじゃ全然解りませんでした。何処でそんな説明があったんだろう? 字幕読みそこなったのかしら私? それともノクスの件があるから仕組まれた冤罪と理解するのが当たり前だったのか? コンギルさん「窃盗犯」と決めつけてしまって御免なさい・・・。

このあたり中々解り難いお話でしたが、そういう過去があるなら、コンギルが普段寡黙な理由もわかります。自分が真実を語っても、誰も信じてはくれない、という思いが心の底に常にあるのでしょう。多くを語らなくても信じてくれるのはチャンセンだけ。だから彼への受け答えが子どもみたいな時があるのかもしれないですね。そのかわり、最初から全てが虚構である芝居の台詞なら、何の不安もなく堂々と語れるし、即興で新たな虚構を生み出すことを恐れることもない、ということなのでしょう。虚構だからこそ、キワドイ下ネタでも明るく堂々と語れる訳ですね。

そうするとアレですか、これは小説読んでも解らなかったんですが、売春疑惑も私の勘違いなのもしれないですね。チャンセンが館の主と座長の様子からコンギルの危機を悟ったのは、これが初めてじゃないから、だと思ってたんです。それにあの年であれだけの芸をするという事は、子どもの頃から芸人生活を送っていたのでしょうから、今まで無事だったとは思えなかったんですが、考え過ぎだったでしょうか(汗) コンギルさんあなたの過去の罪は、人を殺めたかもしれない、ということだけです・・・。結構な重罪ですが。
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王の男
2007-01-14 Sun 09:07
イ・ジュンイク監督作品 2005年韓国
日本公開は2006年12月9日より、配給角川ヘラルド映画

先日映画館のレディースデイを利用して『王の男』を観てきました。公開以来気になりつつも、「そのうちDVDが出たらレンタルすればいいや」くらいの気でいたんですが、そろそろ上映終わちゃうのかなと思ったら急に観たくなりました。それも、「女より美しい」という女形をこの目で確認しなくちゃ、という好奇心によるもので、あまり作品自体に期待はしてませんでした。

でも観始めたらまず主役の二人の息の合った芸に感心し、互いを必要としあう気持ちに共感し、王の異常さにハラハラし、物語に惹き込まれて行きました。出演者の皆さん熱演でしたよ。ラストは泣けちゃいました。両隣の席の方もほぼ同じタイミングで泣いてたみたいです。いやー観に行って良かったです。思わず、めったに買わないパンプレットを買っちゃいました。まあ、いつ頃の時代が舞台なのか良くわからなかった、という理由もあるんですが(^^;)

物語は16世紀初頭の朝鮮李朝、第10代王燕山君(ヨンサングン)の時代。幼馴染の芸人チャンセンとコンギルは、女形のコンギルに体を売る事も強要する旅芸人の一座を抜出し、「国一番の芸人になろう」と都に向った。そこで知合った芸人ユッカプら3人と組んで、都で噂になっていた王と芸妓上がりの寵姫ノクスを風刺する芝居で人気を博した。だが王を侮辱した罪で役人に捕らえられた彼らは、王の前でその芝居をし、もし王が笑わなければ死罪になるという事に・・・。

恐る恐る臨んだ舞台で、チャンセンの胆の据わった演技とコンギルの機転の利いたアドリブで王を笑わせ、彼らは宮殿に住まう「王の芸人」となった。自分たちの芸が王に認められたことを喜ぶ5人だったが、王はコンギルを気に入り彼一人だけを度々私室に呼寄せるようになった。そして彼らは、思わぬ悲劇に巻き込まれていく・・・。

実在の王燕山君と、彼が芸妓や芸人を宮殿に招いて遊興にふけった暴君であったという史実をもとに、架空の人物である芸人たちを主人公にした、歴史物フィクションです。原作は、2000年の初演以来数々の演劇賞を受賞している『爾』という舞台劇で、「爾」とは王が寵愛するものを呼ぶ時の呼び名だそうです。映画版の原題はハングルが読めないので解らないんですが、英題は"KING AND THE CLOWN"なので、直訳すると「王と道化(芸人?)」ということになるのでしょうか。邦題は、多少の誤解を招くような気もしますが、中々意味深で良かったのではないでしょうか・・・。

原作の舞台ではコンギルの方が主役で、彼は王の寵を得たことで権勢欲におぼれそうになる人物らしいです。そしてそこでは側にいるだけの人物だったらしいチャンセンが、映画では芸人としての野心と誇りを持ち、権力に屈しない魅力的な主人公として描かれています。映画では自らの野心など全く持たない純真無垢な少年ともいえるコンギルは、チャンセンの行く道が己の進む道だと思っていた節があります。映画の公式サイトTOP頁、右手前に映っているのが主演のカム・ウソンさん演じるチャンセンで、左がイ・ジュンギさん演じるコンギルです。コンギル、確かに美しいですが、あの流し目、何となく人を見下してるような冷さも感じます。だから実際に映画を観るまでは、最終的に寵を逆手にとって王を愚弄する嫌な奴なのかと思ってたんですが、映画のコンギルからは全くそういう印象は受けませんでした。それどころか、王に同情し純粋な気持ちから「王の芸人」であろうとするコンギル。でもその実利的野心を現さない姿に、どうしょうもない遣る瀬無さを感じました。

普段は無口でおとなしく、自分の意思もあまり表明しない無欲な青年に見えるコンギル。でもひとたび女形の芝居を始めると、色仕掛けで身分の高い男を手玉に取るハスッパな美女を堂々と演じ、下ネタ炸裂の大胆な演技で笑いを取ります。下世話で自信満々な男を演じるチャンセンとの丁々発止の遣り取りも見事で、二人で息の合った曲芸を披露する芸達者な人です。舞台では、チャンセンに負けず劣らず胆の据わった芸人であり、お客に合わせ機転を利かせた演技が出来る物凄く頭の回転が良い人で、単に見てくれが美しいだけの女形ではありません。

でも、だからこそ、これだけ才ある芸人ならもっと野心を抱いても不思議じゃないのに、舞台以外でのコンギルは常に控えめで無口だし、自分から何かを望む事もなく、チャンセンの快活な笑顔に寄添う従の人です。野心が無い分自らは道を選ぼうとせず、ある意味流されているだけとも言えます。旅芸人の一座にいた時、芸だけでなく体も売らなくてはいけない事を、どんなに嫌でも仕方ないと諦めていました。チャンセンのように自分から抗って逃げようとはしないんです。でも何よりチャンセンを傷付けたくないと思っているので、その為なら咄嗟に凶器を手にするなど無意識に大胆な行動にでたりもします。終盤で人形劇に託してコンギルが語っていますが、かつて盗みを働いてしまった時も、チャンセンに庇われて二人で逃亡していたんですね。窃盗犯で売春もしてて殺人を犯したかもしれない、よく考えたらとんでもない経歴の持ち主ですが、当時都に流れ着いた下層階級の人たちの中には、少なからずそういう人もいたんでしょうね。

そんなコンギル、人の気持ちを察する優しさと洞察力を持ち、あんなに機転も利く人なのに、チャンセンへの受け答えを聞いていると「ひょっとして頭足りないの?」とさえ思える場面もあったりします。ただチャンセンはそういう子どもみたいなコンギルを、兄のような気持ちで可愛いと思っている様子。罪深くて子どもの様に純真無垢な人・・・。

燕山君がコンギルを気に入ったのも、美しい容姿だけではなく、彼の子どもの様な無垢さだったのではないでしょうか。彼らの芸を気に入った王ですが、チャンセンの挑戦的な態度には本能的に警戒心を持ったはずです。一緒に風刺劇をやっていても、コンギルにはそういう挑戦的な気持ちはありません。美しい容姿や王の気を逸らさない気遣いだけなら寵姫のノクスだって持ち合わせています。けれど、純粋に孤独な王を慰めたい思いから芸を見せようとするコンギルのように、媚もへつらいも野心も無く、まるで子ども同士が触れ合うように王の心に応えようとすることは無かったのでしょう。

しかしコンギルは、あの王の専属芸人として寵を得る事の意味をわかってはいませんでした。ノクスは野心と権勢欲から王の寵を得る努力をしただろう人ですが、低い身分の芸妓から成り上がった寵姫としての矜持と覚悟を持っている女性です。王の寵愛を笠に着た鼻持ちならない女で、嫉妬からコンギルを陥れようともしますが、大臣達のクーデターにも動じず、命がけで王を愛する格好良い女でもあります。

一方コンギルは、王に同情してはいても運命を共にするだけの覚悟など持ち合わせてはいません。彼はあくまで、自分たちの芸が王を慰め癒すのではないかと思っただけです。彼が運命を共にしたいと思うのは、いつだって相方のチャンセンだけでした。コンギルの心までは手に入らないと知った王は、自分が精神的に追い詰めて気絶させたコンギルの体に、駄々をこねる子どもの様に頭を打ちつけ、思い余って唇を塞ぎます。このシーン、性的な意味合いはあまり感じませんでした。愛する事を知らず、愛される事だけを望む幼い子どもの様な可哀想な王と、チャンセンに守られ、信頼しあう事も甘える事も知っている幸せな子どもであるコンギル。自分たちの芸で王を癒せるかもしれないと考えたのは、ある意味コンギルの思い上がりだったのかもしれません。

コンギルは純粋無垢だったのかもしれませんが、そんな彼の思いや行動が周りを悲劇に巻き込んで行ったのだとも言えるのがこの物語です。もちろん根本的には燕山君の狂気が元凶です。コンギル自身には全く悪意がないだけに、権力と狂気に触れてしまった人々の悲劇を、何とも言えない思いで見つめました。映画の前半はチャンセンの格好良さに心惹かれ、後半に行くに従って美しいコンギルがまとう遣る瀬無さが胸に迫りました。だからこそ、全てを覚悟したノクスと自失した王の前で、最後の芸を披露する二人に涙を抑えられませんでした。彼らは絶対に互いを必要とする相棒同士だったと同時に、結局最後までそれぞれの思いで「王の芸人」でもあったんですね。

それにしてもコンギルを演じたイ・ジュンギさんお綺麗でした。ちょっと虜になっちゃいそうでしたが、記者会見での洋服姿の写真を拝見したら、もちろん美形ですが笑顔の可愛らしい青年で、メークや髪型のせいもあるんでしょうが、コンギルより若い感じがしました。私はイ・ジュンギさんというより、彼の演じたコンギルの虜になったようです。イ・ジュンギさん美しいけれど決して華奢な方ではないです。背丈もチャンセン役のカム・ウソンさんより高いように見えました。芝居以外の場面では、少年のように元気な足取りでチャンセンの後を歩いているシーンもあって、それはそれでほのぼのとして良かったです。若いからこそ出来た役でしょうが、お若いのに難しい役をよく演じられたなぁ、と感心しちゃいました。

そして主演のカム・ウソンさんのチャンセン、とっても格好良かったです。王の前でも物怖じせず高らかに台詞を話す声、綱渡りの演技、コンギルを庇う男気、素敵でした。燕山君役のチョン・ジニョンさんも演技派でした。黙っているだけで、狂ってるよこの人、というのが伝わってくる表情、私室で芸人の芝居を真似る時の異常さ、とっても怖かったです。小心者だけど人の良い芸人仲間のユッカプを演じたユ・ヘジンさんも良い味出してました。
何だか日本の時代劇を思わせるテーマ曲にも心動かされました。

韓国では4人に1人が見たということで、興行収入の記録を作る人気映画だったそうですが、日本公開ではさほどの興行収益も上がってないとか・・・。とっても心に残る作品だったのに、日本人受けしなかったんでしょうか? 私がこんな長々感想を書くほど入れ込んで観てしまったのは、一般人と見る視点が違ったからなのか、とちょっと不安に(笑)
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エッグスタンド
2007-01-08 Mon 18:42
月村奎 著 / イラスト 二宮悦巳
新書館ディアプラス文庫 2004年2月発行
白泉社花丸ノベルズ 1997年4月発行作品を文庫化

新しい年を迎え、早いもので七草も過ぎました。今年もよろしくお願いいたします。
年末から突然月村奎さんにハマって、近隣書店で見かけた本は殆ど買い漁りました(笑) その中で、新年最初に読んだのがこの『エッグスタンド』でした。ノベルズ版所収の表題作を含む三作に、新たに書き下ろしを加えて文庫化された作品です。
「エッグスタンド」
他人とも家族とも一定の距離を置くように暮らしてきた歯科医の森住宏一は、父親の転勤でマンションの隣室に一人暮らしをすることになった高校生の仲居透に妙に頼られていた。人懐こくお気楽な性格に見える透だったが、実は家族にも友人に知られたくない悩みをかかえていた。それは自分がゲイであり、親友の修司に好意を抱いているという事だった。成り行きで世話をやくうちにその話を打ち明けられた森住は、透との関わりに一歩踏み出すことになっていく・・・。

「愛が二人を分かつまで」
透は、修司に亜美という彼女がいるのを承知の上で、思い切って気持ちを打ち明けた。予想どうり気持ちに応えてはもらえなかったが、今まで通り友達付合いをしようと言われホッとする。だが、良い奴なのに無神経な修司は、ゲイである姉の友人松田を透に紹介してきた。深く傷つきながらも、修司に気を使って松田と会うようになった透だったが、想いは別のところにあった。
透は、時折訪ねてくる森住の双子の妹文乃とも親しくなっていた。彼女が店長を勤める貴金属店を訪れた透は、女連れで店にやって来た森住と出会って動揺する・・・。

「真珠のかけら」
森住の妹文乃と、妻子持ちの彼氏とのお話。

「チョコレート日和」書下ろし
気持ちを確かめ合った後の、森住と透のお話。
タイトルになっているエッグスタンドは、森住に忘れていた幼い日の幸せな記憶を思い起こさせたアイテム。でもそれはモノが思い出させたのではなく、森住が作ったエッグスタンドの半熟茹卵を喜んで食べる、透の嬉しそうな顔でした。

森住が家族も含め誰かと深く付合うのを避けて来た一因は、幼い頃の辛い家庭環境によるものでした。自営の仕事が上手く行かなくなり妻や子どもにも暴力を振るう様になった父は、10年前に母と自分たち兄妹を捨てて従業員だった女と家を出て行ったきり音信不通で、先頃女のもとで亡くなっていました。父親に対し不信の念しか抱いてない森住でしたが、まだ仕事が上手く行っていた頃のエッグスタンドをめぐる父親との思い出は、忘れ去っていた父子の情を思い起こさせるものでした。やがてそれは、家族ではない人間との新たな関係を築いて行く勇気にもつながって行きます。

何作か読んだ月村さんの作品には、家族との関係に悩む少年が、年長者との新たな出会いによってそれを克服していくお話がよくあります。この作品もそういうテーマですが、家族との関係を克服するのは透よりもむしろ森住の方ですね。透は透で、ゲイであることを家族に申し訳なく思っているんですが、それはどちらかと言うと自己認識の問題の方が大きいようでした。そしてこちらも、森住の想いを知ることで、自分の感情への後ろめたさが無くなって行きます。

月村さんの作品は全体にBL的描写はわりと少ないですが、この作品も皆無ではないですが、かなり少なめです。他の作品にもあったのですが、二人の初めてって「朝チュン」以前です・・・。最初に読んだのが『家賃』だったので、以前の作品を色々読んで初めて月村さんの作風を知った感じです。でも、そういう直接的な描写ではなくても、二人の心が惹かれあっていく揺れや緊張や甘さを上手く描いていて、すっと手を触れただけで伝わりあう幸福感に満足します。

人は家族との関係(ともに暮らせてなくても)の中で育って、家族以外の他者との関係に向うことで大人になって行くんだなぁ、という当たり前のような事を、BL作品はあらためて考えさせてくれる時があります。月村さんの作品もそうですね。
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| グラス・エイジ |
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