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映画「アンティーク~西洋骨董洋菓子店~」
2009-04-28 Tue 02:21
監督・脚本 ミン・ギュドン(韓国公開2008年11月)
よしながふみさんの同名漫画を原作とする韓国の実写映画で、日本では今月18日から公開されています。

よしなが作品の映画化ということで公開を楽しみにしていました。そのうちレディースデイにでもと思っていたんですが、ちょうど休みだったので、急遽観に行ってきました。日曜からのニュースでお聞き及びと思いますが、主演俳優さんが麻薬使用で書類送検されるというショッキングな出来事があり、上映打切りになる可能性もあるのかな、と思いまして…。

そんな残念な状況ではありますが、映画は中々良かったです。日本でTVドラマ化された作品より原作に忠実な物語で、ドラマでは単なる女性恐怖症みたいな扱いになっていた天才パティシエも、ちゃんと魔性のゲイという設定になってました。
あらすじ ( )内は原作での名前

良家の子息として育ったジニョク(橘)は、ある日突然勤めていた会社を辞め、洋菓子店を経営すると家族に宣言した。パティシエとして雇ったソヌ(小野)は、ジニョクとは高校時代のクラスメイトで、卒業式の日に告白してきたゲイだった。女嫌いのソヌのせいで、他の従業員も男性のみを募集する羽目になってしまったが、そこに応募してきたのが元ボクサーのギボム(神田)だった。彼はソヌの作るケーキの味に惚れ込み、ソヌを先生と仰いでパティシエ見習として働く事になった。

開店から間もなく、サングラスの怪しい男が店に現れた。彼はジニョクを「若」と慕う使用人の息子スヨン(千影)、しかも仕事の邪魔にしかならない不器用な男だった。この4人が働く「アンティーク」は、天才パティシエソヌのケーキとオーナージニョクの接客で軌道に乗り始めるのだが…。
原作通り、ソヌ(小野)の告白にジニョク(橘)が酷い言葉を返すところから映画は始まります。そして開店後は、少年の誘拐事件やら、天才パティシエ引抜き騒動やらが起こりますが、ギボム(神田)のボクサー時代の話やスヨン(千影)の娘の話などは端折りつつ、この店を出した理由でもあるジニョクの子ども時代に起きた事件の確信に迫って行きます。途中、映画「嫌われ松子」だかクドカンだかと思うようなミュージカルな演出が何でしたが、原作の物語を2時間弱に上手く纏めていると思いました。

本当に大変な事になって残念ですが、映画の上映はこのまま続行されるといいのになぁ、と思います。とりあえず現時点では打切りのアナウンスは無いみたいですが…。

P.S.
シネカノン有楽町公式サイトのお知らせによりますと、当初予定通りの期日まで上映されるようです。東京では、シネカノン有楽町1丁目が5月22日まで、恵比寿ガーデンシネマが5月15日まで、の予定だそうです。
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映像化される漫画作品
2009-04-12 Sun 01:51
BL作品の話題ではありませんが、よしながふみさんの漫画「大奥」の実写映画化が決まったそうです。こちらの記事で確認したのですが、「木更津キャッツアイ」の金子文紀さんが監督されるそうです。撮影は来年春開始らしいですが、公開日や出演者は未定とのこと。楽しみの様な、不安の様な…。

よしなが作品と言えば、韓国映画「西洋骨董洋菓子店~アンティーク~」が18日(土)から公開になります。公式サイトはこちらです。日本では2001年にフジTVでドラマ化されて、昨年はアニメ化もされました。今回の実写映画は韓国の作品ということで、どんな雰囲気に仕上がっているのか興味があります。観に行っちゃおうかしら。

漫画作品といえば、今月放送開始の深夜アニメでは、三国志漫画の「蒼天航路」(日本TV系火曜深夜)、オノ・ナツメさん原作「リストランテ・パラディーゾ」(フジTV系水曜深夜)を見ました。「蒼天航路」は原作の最初の方を全く読んでないので、若き日の曹操がどう描かれているのか、ちょっと楽しみにしています。原作の絵柄はちょっと苦手でしたが、アニメ絵では登場人物についてはそれも少し緩和されているのがいいです。血を見る展開が多いのはどうしょうもないですが・・・。「リストランテ…」も原作1巻しか読んでないので、今後を楽しみにしています。
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「平家物語」もBLに満ちている?
2009-04-05 Sun 20:54
「源平紅雪綺譚」を読んで、懐かしい古典「平家物語」を久しぶりに手に取ってみました。実は10代~20代の頃ハマっていました。小学生の頃見たTV時代劇「女人平家」や「新・平家物語」で源平時代にハマって、その後中学生の頃に教育TVで放送していた「平家物語」講座を見て、古典平家の魅力を知りました。番組の中で朗読される原文の、流れるようなテンポの美しさが良かったんです。さすが平曲として語られたというだけあって、耳で聞いてたのしむ古典文学だなぁ、と思ったものです。

その頃は、冒頭の「祇園精舎の鐘の声…」やら高倉天皇と小督の悲恋やらに心を惹かれていましたが、今にして思えば、主従を中心に男同志の強い絆とか深い情愛を物語る逸話の多い古典作品でもありました。木曽義仲と今井四朗、平知盛と平内左衛門家長のように、その最後をともにする乳兄弟主従というのも見逃せません。ダ・ヴィンチの2月号特集「世界はBLに満ちている」で、三浦しをんさんと松岡なつきさんの対談でも、BLが匂う作品として「平家物語」を取り上げてらっしゃいました。

世阿弥が能の題材にし、歌舞伎にもなっている「俊寛」の話も印象深いです。打倒平家の企てをした鹿ケ谷の陰謀が発覚して、藤原成経・平康頼とともに鬼界ヶ島に流罪となった俊寛僧都は、平清盛の娘徳子に皇子が誕生した恩赦でも、ひとり許されず島に残されました。そんな彼のもとへ、侍童であった有王が、遥々都から訪ねて行きます。苦労を重ねて島に辿り着き、やっとの事で探し当てた主は、痩せ衰えて見る影もなく、やがて自ら食を断って命を落とします。その最後を看取り、遺骨を胸に帰京した有王は、遺族の行く末を見届けた後に出家し、俊寛の菩提を弔いながら諸国修行の旅に出るのでした…。

それから平家側では、平重盛の嫡子維盛の話も哀れです。清盛の直孫にもかかわらず、平家一門の中で孤立していた維盛は、一の谷敗戦の後、高野山で出家し入水自殺しています。その時、8歳から彼に仕えていたという石童丸という少年が、共に髪を下ろし、主の後を追って入水しています。死後も傍近く仕えようという心映えは何と深い想いなのでしょう…。

もちろん俊寛にも維盛にも妻子があり、ともに自らの死にあたって家族の行く末が一番の心残りである、という記述があります。有王や石童丸も主のその思いをともに心に掛けています。しかし、妻子への思いとはまた別に、生死をともにする主従の関係には、時に家族以上の絆を感じます。

少年たちの物語もさることながら、壇ノ浦敗戦の折、次々入水していく平家の人々の中で印象的だったのは、「兄弟手に手を取り組み、鎧の上に碇を負うて、海にぞ沈み給ひける。」と書かれている、清盛の弟、経盛と教盛です。経盛は「源平紅雪綺譚」の敦盛や経正の父で、教盛は壇ノ浦で義経を追い詰めた能登守教経の父です。共に孫もいるような老兄弟なんですよね。この後に維盛の弟たちと従弟も「手に手を取り組んで」となるわけですが、この孫世代よりも、清盛亡き後は一門の重鎮であり、平家の栄枯盛衰をつぶさに見て来ただろう老兄弟に、公私を通じて長年苦楽を共にした二人ならではの、互いへの情愛を感じるのです。

他にも諸々あったかもしれませんが、今も忘れ難いのはこの三つのエピソードです。特に有王の話は、能や歌舞伎にもなるだけあって、ドラマチックでした。平家にハマったばかりの頃は、有王の忠義に心打たれたものですが、BLに目覚めてからは、何としても俊寛に会おうとする心情に鬼気迫るを感じる様になりました。何か忠義を超えていますよね。
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漫画化されるジャンプ編集部
2009-03-22 Sun 17:36
昨年秋から「週刊少年ジャンプ」連載されている「BAKUMAN」(原作:大場つぐみ/漫画:小畑健)、1月にコミック1巻が発売になって、今月はもう2巻が出ました。原作と作画でコンビを組む二人の少年が、漫画家を目指す物語です。そして主人公二人が漫画原稿を持込んだ先は、集英社ジャンプ編集部! 

「この作品はフィクションです。実在の人物、団体、事件とは、いっさい関係がありません」としながらも、月例賞やら手塚賞の話では、審査員が稲垣先生、尾田先生、鳥山先生、岸本先生、SQの編集長…とか、赤丸ジャンプ掲載&注目度アップの狙い方、契約料や原稿料の話など、リアリティ有りげなエピソードを交えてます。現実は更に厳しいのでしょうが、面白くなくれければ雑誌に掲載されることのないシビアな実力社会に、二人が夢を持って挑戦して行く展開です。けれどこちらはあくまでフィクション。

それと対抗するかのように(違うか)、4月24日発売の「週刊コミックバンチ」21・22合併号(新潮社)より新連載の「少年リーダム~友情・努力・勝利の詩~」は、週刊少年ジャンプ3代目編集長だった西村繁男さんの著書「さらば、わが青春の『少年ジャンプ』」を原作に、次原隆二さんが作画を手掛ける作品です。次原さんは、黄金期ジャンプの人気タイトル「よろしくメカドック」(知りません)の作者だそうです。情報源はこちらです。

「さらば、わが青春の『少年ジャンプ』」は、西村さんが集英社を退社した直後の1994年5月に飛鳥新社より刊行されました。週刊になる前の「少年ジャンプ」創刊時より編集に携わり、本宮ひろしさんをはじめとし多くの人気少年漫画家を育て、「ドラゴンボール」連載時には編集長をつとめていた西村さんの、自伝的少年ジャンプ史です。その後「週刊少年ジャンプ」が「マガジン」に発行部数首位の座を譲り渡した後の話を加筆した幻冬舎文庫版が、1997年11月に出ています。

ジャンプが前人未踏の発行部数を更新し出版界の話題となる中、メディアミックスやラブコメ路線に疑問を感じつつ、少年漫画誌としてのジャンプにこだわり続ける編集者気質に熱いモノを感じます。また、編集者としてより良い少年漫画誌を作り読者を獲得しようと情熱を傾ける一方で、労働組合委員長としての活動や、トップ人事に関わる問題で揺れる心情なども語られる、企業戦士モノの側面も持っています。

この作品はノンフィクションですが、自伝ですので主観的部分も多く、実績を上げていく現実のジャンプの方向性とは別に、西村さんの理想とする少年漫画誌の在り方というのもあり、その葛藤なども感じられます。現ジャンプや出版界の状況を考えると、古き良き時代のノスタルジーを感じさせる部分もあると思います。それも含めて、読み終えた瞬間、思わずこの本を抱きしめてしまいたく成る程、ジャンプとそれを作り上げる人々が愛しくなってしまう作品でした。(最初に読んだ飛鳥新社版は図書館で借りましたが、実は本当に抱きしめました^^;)

「ドラゴンボール」にハマってる当時、その関連本として読んだわけですが、掲載誌であるジャンプへの思い入れもあったせいか、余計に感動しました。私的ベストノンフィクション上位に入っているので、漫画になったらどんな感じなのか、ちょっと気になります。

「ドラゴンボール」ファンとして、またその後もジャンプ作品を読んでいる者として、印象に残っているのは、「第七章 発行記録への挑戦」に出てくる鳥嶋和彦さん(現集英社取締役)についての記述です。当時編集者だった鳥嶋さんが鳥山明センセを見いだして育て、「Dr.スランプ」「ドラゴンボール」がメディアミックスによって空前のヒット作品となったことが、「少年ジャンプ」600万部の快挙達成の原動力になっていったと語っています。それは鳥山センセのパワーによるものとしながら、一方で、プロデュースした鳥嶋さんについては、その手腕は認めながらも、少年漫画誌としての「ジャンプ」の方向性を誤るのではと懸念していました。

西村さんは1986年に「週刊少年ジャンプ」編集長を後進に引継ぎ「スーパージャンプ」を立ち上げたそうですが、当時既に400万部を超えていた「週刊少年ジャンプ」発行部数は、88年に500万部を超え、94年末(95年新年合併号)には最高653万部に達したと言われています。鳥嶋さんは、その間も「週刊少年ジャンプ」の敏腕編集者として活躍しておられましたが、93年にゲーム雑誌「Vジャンプ」を立ち上げて編集長となり、「週刊少年ジャンプ」を離れました。その後95年から「週刊少年ジャンプ」が発行部数を落とし始めると、低迷打破の切り札として編集長に抜擢され「週刊少年ジャンプ」編集部に戻っています。

鳥嶋さん編集長就任後も発行部数は下げ止まらず、97年には400万部となり、週刊少年誌発行部数首位の座を「マガジン」に明け渡しました。98年2月時点で「マガジン」418万部、「ジャンプ」390万部だったそうです。その後両者とも部数を下げていますが、「ジャンプ」は300万部代に踏みとどまって、2002年には「マガジン」から首位の座を奪還しています。社団法人日本雑誌協会の算定によると2008年10~12月期の発行部数は293万部で、169万部と下げ続けている「マガジン」とは逆に、08年1月の277万部あたりを底に微増を続けているようです。

編集長だった鳥嶋さんは、その後もメディアミックス化を更に推し進め、ジャンプ作品を中心とした版権事業の責任者としてライツ事業部長に就任し、2004年には取締役になっています。アメリカへのジャンプ誌進出や、ハリウッドでの「DRAGON BALL」実写映画化も、その事業の一環として彼の目指したものでしょう。鳥山センセの初代担当編集者だった鳥嶋さん、「Dr.スランプ」のDr.マシリトのモデルとしても有名ですが、ピッコロ大魔王も彼がモデルだったと、たしか何処かで鳥山センセが書いていらしたような…。

そんな訳で鳥山ファンとしては、つい鳥嶋さんに注目してしまうわけですが、「さらば、わが青春の『少年ジャンプ』」に心を動かされた身としては、西村さんが現ジャンプの奮闘や鳥嶋さんの活躍をどう感じておられるのかも、気になるところです。「BAKUMAN」と「少年リーダム」、個人的には、何だか勝手に鳥山VS西村の図式で見てしまいそうです。

ところで、話は長くなりますが、「週刊少年ジャンプ」が最高部数を達成した頃、90年10月の国勢調査を基にした93年の推計人口で、ジャンプが読者として想定しているであろう10歳~19歳の男子は、およそ875万人でした。もしこの世代だけがジャンプの読者だとしたら、4人に3人は雑誌を買っていた事になり、読んだ人はもっと多いという事になります。ジャンプ653万部というのは、それだけ驚異的な数字でした…。

しかし、10代男子だけでこれだけの数字は取れませんよね。20代以上だってまだ読んでいたはず。現に私は「ドラゴンボール」連載終了を読者だったダンナの職場の方から教えてもらいました。そして、当時既に二次創作で多くのジャンプ系作品が作られていた事を考えると、かなりの女性読者(大人含)がいたことも想像に難くありません。西村さんが活躍されていた頃「友情・努力・勝利」をキーワードに人気作品を生み出していたジャンプですが、昨今はそれに加えて絶対女性受けを狙っていると思われる作品もありますよね。

私が「週刊ジャンプ」を買い始めたのは、「ヒカルの碁」の続きが気になったからです。「ドラゴンボール」はコミック読みでした。アニメ「ヒカルの碁」を見てハマった後ですから、奇しくも「マガジン」から首位を奪還した2002年頃です。連載作品には、「ヒカルの碁」と同日に同じTV東京でアニメ放送が始まった「テニスの王子様」もありましたが、この作品はあきらかに女性読者を意識してるなぁ、と思いました。

しばらくして「銀魂」や「D.Gray-man」の連載も始り、私も読んでました。2作品ともその後アニメ化されましたが、これらの作品も女性に随分人気があった様ですね。「銀魂」は、あの馬鹿バカしさと一途さ、下品さと人情味、そのそこはかとなく微妙なバランスが好きなんですが、アンソロ本がたくさん出ているのを見るまで、そんなに二次創作意欲刺激する作品だとは気がつきませんでした(笑) 

ジャンプフェスタの参加者にも女性が多くなっているそうですし、西村さんの頃にはまだ顕在化していなかった女性読者を、今では無視できない状況になっているのは確かでしょう。

参考:
月刊「創」1998年4月号(創出版)
「日本国勢図会」1995/96年版(国勢社)
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コミック版『王の男』
2007-01-17 Wed 10:16
原作 映画「王の男」(イ・ジュンイク監督作品)  
漫画 冬乃郁也  
角川書店単行本コミックス 2006年11月発行
初出「CIEL」2006年11月号別冊付録(描き下ろしあり)

小説について書いたので、漫画についても触れておこうと思いまして、すみませんがまだ続きます『王の男』の話題(笑) このコミック版も、映画公開直前の11月末頃、小説とほぼ同じ時期に発売されました。「CIEL」初出ですが、あすかシエルコミックスではなくて、一般コミックスで出ています。

冬乃郁也さんは初読みの方だったので、まずプロフィールを見たら、代表作の紹介がないので新人さんなのかと思っちゃいました。でも2003年からコミック出されてる方で、崎谷はるひさんの小説『恋は乱反射する。』(ルビー文庫)でイラストを担当され、あすかシエルコミックスから同作品の漫画版(2006年12月)も出されてるんですね。存じ上げなくてすみません。
『王の男』は一般コミックだからBL系の代表作は載せなかったんですね・・・。

さて内容ですが、かなり端折ってる部分もあるものの、2時間の映画作品をよく一冊に上手くまとめてあるなぁ、と感心しました。主だった出来事だけを順に描いていくんですが、そこに至る過程を回想として入れているので、何故そういう展開になったのかわかる様になっています。このやり方を映像でやったら、カット割りがうるさ過ぎてかなり見づらそうですが、漫画なら大丈夫。特に京劇風の芝居を見せる場面は、コマ割りを使った同時進行の回想を、チャンセンとコンギルそれぞれ1頁だけで描いていますが、映画では出来ない表現方法だと思いました。
ただ、もしかすると映画を観てない方にはちょっとストーリーが解り難いかもしれません・・・。

webKADOKAWAの立読み頁でも確認でもきますが、タイトルが出る前の一番最初の頁に描かれているのは、王の側近チョソン大臣です。チャンセンたちの風刺劇を初めて目にする場面なんですが、「全ての悲劇はここから始まった・・・」という感じの、上手い導入だと思いました。今までの感想で全く触れませんでしたが、実はこのチョソン大臣が物語のカギを握っている人物なんです。漫画では映画よりもそれを強調する演出になっています。終盤の、芸人を宮殿に呼び入れた理由を問われる場面。自嘲的にそれに答えるチョソンと、燕山君の残虐な仕打ちを受けるチャンセンとを同時進行のコマ割りで描いて、結局は政争の道具として使い捨てにされるしかない芸人たちの運命を端的に物語っています。そのかわり風刺劇を始めるきっかけになったユッカプたちとの関係は、全編に渡ってすっかり省かれています。

ストーリー全体は、映画と少し違って主にコンギルの視点で描かれていますので、映画では解りづらい彼の内面が現れています。映画を観た後、小説より先に漫画を読んだのですが、なるほどコンギルはこういう気持ちで動いてたのね、と少しすっきりしました。ただ、あとがきで冬乃さんご自身も書かれてますが、これはあくまで冬乃さんの解釈ということなんですね。

映画のコンギルは、たぶん作為的になのだと思いますが、内面の解り難い人物になっています。チャンセンと燕山君の間で揺れ動く気持ちに、何よりコンギル自身が戸惑い誰にも言えず葛藤している。それが物語の重要な部分でもあるからなのでしょう。私が映画を観ていて感じた、コンギルに対する苛立ちを通り越した怒りにも似たやるせなさというのは、この内面の解りづらさから来るものなんです。実はそれがコンギルに強く惹かれる理由でもあるんです。そしてこの苛立ちを一気に解消してくれる様な、あのラストでのチャンセンとの遣り取りが生きてくるんです。見ようによっては4人心中とも言える悲しい結末(史実では燕山君ここでは死にませんが)なのに、決してただのアンハピーエンドとも感じませんでした。監督の思う壺ですね、私(笑)

そういえば、漫画でも触れてなかったですね、指輪紛失事件でっち上げの件・・・。あれは編訳者の前川さん独自の解釈なんでしょうか?

ところで、冬乃さんの描くコンギルはBLのセオリーに則っているようで、チャンセンより随分小柄です。映画でコンギルを演じたイ・ジュンギさんは、チャンセンより少し高いかもと思う長身なんですが。そしてチャンセン、ワイルドながら中々いい男になってます。でも、所謂BL的要素は映画以上に描かれていなくて、皆無と言ってもいいです。冒頭の貴族の寝所に呼ばれる場面も、燕山君にキスされる場面も、冬乃さんは描かれませんでした。

反対に漫画でだけ描かれれたのが、小説ではプロローブにもある、コンギルが初めてチャンセンに綱渡りを教わるところ。映画では映像化されてませんよね、たしか。それを冬乃さんは、終盤の人形劇の場面でコンギルの回想として描いています。可愛いですよ二人とも。コンギル、子どもの時からあの髪型でした。

映画を観た後にも、漫画や小説があったらつい読みたくなるファン心理。四半世紀以上前、『犬神家の一族』最初の映画化の時から始まった、角川書店のメディアミックス戦略。今もすっかりハマッている私です・・・。
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小説版『王の男』
2007-01-16 Tue 00:22
キム・テウン原作 チェ・ソクファン脚本  
前川奈緒 編訳 角川文庫2006年11月発行

『王の男』の小説があると知って、原作なら読みたいと思って手にしたんですが、脚本を小説化したものでした。それはそれで、映画をもう一度観るような楽しみがありそうだと読んでみました。確かに映画にほぼ忠実に書かれていて、その上台詞だけでは解りにくかった登場人物の心情なども詳しく書き込まれていました。物語をより理解できて良かったのですが、自分が映画から受けた印象とは微妙に違うニュアンスの部分もあって、ちょっと複雑な気分にもなりました。

一番ショックだったのは、映画の感想でも触れたコンギルの窃盗事件の下りです。王の怒りを買って牢に繋がれたチャンセンが、刑吏に語って聞かせる昔話。それは、かつて屋敷に奉公していた時に起こった、奥様の指輪紛失事件についてでした。誰も犯人が名乗り出ないのでチャンセンは「自分が盗んだ」と言ってしまい、主人から今の様な酷い目にあわされた、という。それを密かに聞いていたコンギルは、王の前で人形劇に託して、「本当は自分が盗んだ」と告白したらチャンセンが一緒に逃げてくれた、という昔話を続けます。この話、映画見てそのままに信じてたんですが・・・。たぶん二人はそれぞれ貧しい家に生まれて、子どもの時に奉公に出された屋敷で知合い仲良くなった。子どもだったコンギルは、つい魔がさして美しいモノを手にとってしまったんじゃないかと・・・。

でも違ったんですね。ノクスの様に彼を陥れようとする者が、その時もいた。状況はコンギルに不利で、無実を証明出来るとは思えなかった彼は、先に名乗り出ていたチャンセンに「(君ではなく)自分が盗んだ」と告げた・・・。チャンセンもコンギルが犯人にされてしまうだろうと思ったから先に名乗り出た・・・。確かに、ノクスに仕組まれた今と同じ状況の方が、この昔語りは意味があります。なるほど、そうだったのか! でも映画からじゃ全然解りませんでした。何処でそんな説明があったんだろう? 字幕読みそこなったのかしら私? それともノクスの件があるから仕組まれた冤罪と理解するのが当たり前だったのか? コンギルさん「窃盗犯」と決めつけてしまって御免なさい・・・。

このあたり中々解り難いお話でしたが、そういう過去があるなら、コンギルが普段寡黙な理由もわかります。自分が真実を語っても、誰も信じてはくれない、という思いが心の底に常にあるのでしょう。多くを語らなくても信じてくれるのはチャンセンだけ。だから彼への受け答えが子どもみたいな時があるのかもしれないですね。そのかわり、最初から全てが虚構である芝居の台詞なら、何の不安もなく堂々と語れるし、即興で新たな虚構を生み出すことを恐れることもない、ということなのでしょう。虚構だからこそ、キワドイ下ネタでも明るく堂々と語れる訳ですね。

そうするとアレですか、これは小説読んでも解らなかったんですが、売春疑惑も私の勘違いなのもしれないですね。チャンセンが館の主と座長の様子からコンギルの危機を悟ったのは、これが初めてじゃないから、だと思ってたんです。それにあの年であれだけの芸をするという事は、子どもの頃から芸人生活を送っていたのでしょうから、今まで無事だったとは思えなかったんですが、考え過ぎだったでしょうか(汗) コンギルさんあなたの過去の罪は、人を殺めたかもしれない、ということだけです・・・。結構な重罪ですが。
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王の男
2007-01-14 Sun 09:07
イ・ジュンイク監督作品 2005年韓国
日本公開は2006年12月9日より、配給角川ヘラルド映画

先日映画館のレディースデイを利用して『王の男』を観てきました。公開以来気になりつつも、「そのうちDVDが出たらレンタルすればいいや」くらいの気でいたんですが、そろそろ上映終わちゃうのかなと思ったら急に観たくなりました。それも、「女より美しい」という女形をこの目で確認しなくちゃ、という好奇心によるもので、あまり作品自体に期待はしてませんでした。

でも観始めたらまず主役の二人の息の合った芸に感心し、互いを必要としあう気持ちに共感し、王の異常さにハラハラし、物語に惹き込まれて行きました。出演者の皆さん熱演でしたよ。ラストは泣けちゃいました。両隣の席の方もほぼ同じタイミングで泣いてたみたいです。いやー観に行って良かったです。思わず、めったに買わないパンプレットを買っちゃいました。まあ、いつ頃の時代が舞台なのか良くわからなかった、という理由もあるんですが(^^;)

物語は16世紀初頭の朝鮮李朝、第10代王燕山君(ヨンサングン)の時代。幼馴染の芸人チャンセンとコンギルは、女形のコンギルに体を売る事も強要する旅芸人の一座を抜出し、「国一番の芸人になろう」と都に向った。そこで知合った芸人ユッカプら3人と組んで、都で噂になっていた王と芸妓上がりの寵姫ノクスを風刺する芝居で人気を博した。だが王を侮辱した罪で役人に捕らえられた彼らは、王の前でその芝居をし、もし王が笑わなければ死罪になるという事に・・・。

恐る恐る臨んだ舞台で、チャンセンの胆の据わった演技とコンギルの機転の利いたアドリブで王を笑わせ、彼らは宮殿に住まう「王の芸人」となった。自分たちの芸が王に認められたことを喜ぶ5人だったが、王はコンギルを気に入り彼一人だけを度々私室に呼寄せるようになった。そして彼らは、思わぬ悲劇に巻き込まれていく・・・。

実在の王燕山君と、彼が芸妓や芸人を宮殿に招いて遊興にふけった暴君であったという史実をもとに、架空の人物である芸人たちを主人公にした、歴史物フィクションです。原作は、2000年の初演以来数々の演劇賞を受賞している『爾』という舞台劇で、「爾」とは王が寵愛するものを呼ぶ時の呼び名だそうです。映画版の原題はハングルが読めないので解らないんですが、英題は"KING AND THE CLOWN"なので、直訳すると「王と道化(芸人?)」ということになるのでしょうか。邦題は、多少の誤解を招くような気もしますが、中々意味深で良かったのではないでしょうか・・・。

原作の舞台ではコンギルの方が主役で、彼は王の寵を得たことで権勢欲におぼれそうになる人物らしいです。そしてそこでは側にいるだけの人物だったらしいチャンセンが、映画では芸人としての野心と誇りを持ち、権力に屈しない魅力的な主人公として描かれています。映画では自らの野心など全く持たない純真無垢な少年ともいえるコンギルは、チャンセンの行く道が己の進む道だと思っていた節があります。映画の公式サイトTOP頁、右手前に映っているのが主演のカム・ウソンさん演じるチャンセンで、左がイ・ジュンギさん演じるコンギルです。コンギル、確かに美しいですが、あの流し目、何となく人を見下してるような冷さも感じます。だから実際に映画を観るまでは、最終的に寵を逆手にとって王を愚弄する嫌な奴なのかと思ってたんですが、映画のコンギルからは全くそういう印象は受けませんでした。それどころか、王に同情し純粋な気持ちから「王の芸人」であろうとするコンギル。でもその実利的野心を現さない姿に、どうしょうもない遣る瀬無さを感じました。

普段は無口でおとなしく、自分の意思もあまり表明しない無欲な青年に見えるコンギル。でもひとたび女形の芝居を始めると、色仕掛けで身分の高い男を手玉に取るハスッパな美女を堂々と演じ、下ネタ炸裂の大胆な演技で笑いを取ります。下世話で自信満々な男を演じるチャンセンとの丁々発止の遣り取りも見事で、二人で息の合った曲芸を披露する芸達者な人です。舞台では、チャンセンに負けず劣らず胆の据わった芸人であり、お客に合わせ機転を利かせた演技が出来る物凄く頭の回転が良い人で、単に見てくれが美しいだけの女形ではありません。

でも、だからこそ、これだけ才ある芸人ならもっと野心を抱いても不思議じゃないのに、舞台以外でのコンギルは常に控えめで無口だし、自分から何かを望む事もなく、チャンセンの快活な笑顔に寄添う従の人です。野心が無い分自らは道を選ぼうとせず、ある意味流されているだけとも言えます。旅芸人の一座にいた時、芸だけでなく体も売らなくてはいけない事を、どんなに嫌でも仕方ないと諦めていました。チャンセンのように自分から抗って逃げようとはしないんです。でも何よりチャンセンを傷付けたくないと思っているので、その為なら咄嗟に凶器を手にするなど無意識に大胆な行動にでたりもします。終盤で人形劇に託してコンギルが語っていますが、かつて盗みを働いてしまった時も、チャンセンに庇われて二人で逃亡していたんですね。窃盗犯で売春もしてて殺人を犯したかもしれない、よく考えたらとんでもない経歴の持ち主ですが、当時都に流れ着いた下層階級の人たちの中には、少なからずそういう人もいたんでしょうね。

そんなコンギル、人の気持ちを察する優しさと洞察力を持ち、あんなに機転も利く人なのに、チャンセンへの受け答えを聞いていると「ひょっとして頭足りないの?」とさえ思える場面もあったりします。ただチャンセンはそういう子どもみたいなコンギルを、兄のような気持ちで可愛いと思っている様子。罪深くて子どもの様に純真無垢な人・・・。

燕山君がコンギルを気に入ったのも、美しい容姿だけではなく、彼の子どもの様な無垢さだったのではないでしょうか。彼らの芸を気に入った王ですが、チャンセンの挑戦的な態度には本能的に警戒心を持ったはずです。一緒に風刺劇をやっていても、コンギルにはそういう挑戦的な気持ちはありません。美しい容姿や王の気を逸らさない気遣いだけなら寵姫のノクスだって持ち合わせています。けれど、純粋に孤独な王を慰めたい思いから芸を見せようとするコンギルのように、媚もへつらいも野心も無く、まるで子ども同士が触れ合うように王の心に応えようとすることは無かったのでしょう。

しかしコンギルは、あの王の専属芸人として寵を得る事の意味をわかってはいませんでした。ノクスは野心と権勢欲から王の寵を得る努力をしただろう人ですが、低い身分の芸妓から成り上がった寵姫としての矜持と覚悟を持っている女性です。王の寵愛を笠に着た鼻持ちならない女で、嫉妬からコンギルを陥れようともしますが、大臣達のクーデターにも動じず、命がけで王を愛する格好良い女でもあります。

一方コンギルは、王に同情してはいても運命を共にするだけの覚悟など持ち合わせてはいません。彼はあくまで、自分たちの芸が王を慰め癒すのではないかと思っただけです。彼が運命を共にしたいと思うのは、いつだって相方のチャンセンだけでした。コンギルの心までは手に入らないと知った王は、自分が精神的に追い詰めて気絶させたコンギルの体に、駄々をこねる子どもの様に頭を打ちつけ、思い余って唇を塞ぎます。このシーン、性的な意味合いはあまり感じませんでした。愛する事を知らず、愛される事だけを望む幼い子どもの様な可哀想な王と、チャンセンに守られ、信頼しあう事も甘える事も知っている幸せな子どもであるコンギル。自分たちの芸で王を癒せるかもしれないと考えたのは、ある意味コンギルの思い上がりだったのかもしれません。

コンギルは純粋無垢だったのかもしれませんが、そんな彼の思いや行動が周りを悲劇に巻き込んで行ったのだとも言えるのがこの物語です。もちろん根本的には燕山君の狂気が元凶です。コンギル自身には全く悪意がないだけに、権力と狂気に触れてしまった人々の悲劇を、何とも言えない思いで見つめました。映画の前半はチャンセンの格好良さに心惹かれ、後半に行くに従って美しいコンギルがまとう遣る瀬無さが胸に迫りました。だからこそ、全てを覚悟したノクスと自失した王の前で、最後の芸を披露する二人に涙を抑えられませんでした。彼らは絶対に互いを必要とする相棒同士だったと同時に、結局最後までそれぞれの思いで「王の芸人」でもあったんですね。

それにしてもコンギルを演じたイ・ジュンギさんお綺麗でした。ちょっと虜になっちゃいそうでしたが、記者会見での洋服姿の写真を拝見したら、もちろん美形ですが笑顔の可愛らしい青年で、メークや髪型のせいもあるんでしょうが、コンギルより若い感じがしました。私はイ・ジュンギさんというより、彼の演じたコンギルの虜になったようです。イ・ジュンギさん美しいけれど決して華奢な方ではないです。背丈もチャンセン役のカム・ウソンさんより高いように見えました。芝居以外の場面では、少年のように元気な足取りでチャンセンの後を歩いているシーンもあって、それはそれでほのぼのとして良かったです。若いからこそ出来た役でしょうが、お若いのに難しい役をよく演じられたなぁ、と感心しちゃいました。

そして主演のカム・ウソンさんのチャンセン、とっても格好良かったです。王の前でも物怖じせず高らかに台詞を話す声、綱渡りの演技、コンギルを庇う男気、素敵でした。燕山君役のチョン・ジニョンさんも演技派でした。黙っているだけで、狂ってるよこの人、というのが伝わってくる表情、私室で芸人の芝居を真似る時の異常さ、とっても怖かったです。小心者だけど人の良い芸人仲間のユッカプを演じたユ・ヘジンさんも良い味出してました。
何だか日本の時代劇を思わせるテーマ曲にも心動かされました。

韓国では4人に1人が見たということで、興行収入の記録を作る人気映画だったそうですが、日本公開ではさほどの興行収益も上がってないとか・・・。とっても心に残る作品だったのに、日本人受けしなかったんでしょうか? 私がこんな長々感想を書くほど入れ込んで観てしまったのは、一般人と見る視点が違ったからなのか、とちょっと不安に(笑)
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「菊花の約」漫画と原話
2006-09-13 Wed 16:55
何故か引続き心惹かれてます「菊花の約」。 図書館で予約していた木原敏江さんの『雨月物語』(マンガ日本の古典28 1996年12月中央公論社発行)を借りに行ったついでに、上田秋成の原作関連本にも目を通してみました。

木原版は、原作9話の内「菊花の約」の他「浅茅が宿」「吉備津の釜」「蛇性の婬」(峰原版では「婬」が「淫」でした)の4話を漫画にしています。ほんの少し作者の思いを込めた脚色をしているお話もありますが、「菊花の約」はほぼ原作に忠実です。この話を初めて知った頃は、江戸時代の出来事なのだろうと勝手に思っていましたが、八雲版ではちょっと判りにくい時代背景なども、絵で見ると理解しやすいです。舞台は戦国時代です。山本タカトさんが描いた丈部左門は、峰原解釈によるのか前髪の若侍風髷なんですが、木原さんの左門は髷を結わない肩までの垂髪で、学者らしい雰囲気になっています。

木原さんは「菊花の約」についてあとがきで、
これは究極の同性愛だそうです。秋成研究の偉い先生も断言しています。
赤穴が5歳年上という以外の二人の容姿の説明は原作にはいっさいありません。なぜだ?
と書いてらっしゃいます。

日本では、武士の時代に、主従の信頼関係(それはそれでツボですが)を賞賛する逸話はありそうですが、あかの他人が義兄弟として信義を尽くすというのは、あまり無いかもしれません。しかも左門と宗右衛門の互いの信頼に応えようとうする心情は、鬼気迫るものがあるわけです。何といっても命がけですし。単なる友情というには、あまりにも濃いですよね。その執着がどこから来るのか。男同士が惹かれあう理由に、容姿の問題を云々する必要はない、と秋成さんは思ったんでしょうか。一読者としてはとても気になりますが。

その秋成さんの原作は、「新潮日本古典集成」(1979年発行)で読みましたが、浅野三平さんの解説によると「菊花の約」の原話は中国の『古今小説』巻十六にある「范巨卿鶏黍死生交」という短編だそうです。他に図書館にあった『秋成の研究』(重友毅 著 1971年文理書院発行)によると、その後に書かれた『警世通言』巻十九にも同じ題名の話があるそうです。秋成の時代には、この様な中国小説がよく読まれていたらしいです。それらの小説は中国の古典を原話にしていて、「范巨卿鶏黍死生交」も5世紀に書かれた『後漢書』独行伝に書かれている范式の逸話を元にしています。後漢の時代に太守(知事職のようなもの?)を勤め人望があった范巨卿(范式)の伝記です。その中に、彼が当時の国立大学で学んだ若い頃、学友だった張元伯と深い友情で結ばれていたという話があります。

2年後の再会を約し范巨卿の元を去った張元伯が、約束の期日を違えずに、酒肴を用意して待つ范の郷を訪ねたという下りには、『雨月物語』を思わせる范母子のやり取りの描写もあります。そして、死に際して范の夢枕に立ち「葬儀に間に合うよう来て欲しい」と告げた張に応えて、馬を走らせその許へ駆けつけたという范の様子が記されています。范が着く前に張の葬列は出発するのですが、墓所に棺を下ろそうとすると棺を引く車が動かなくなってしまいます。そこへようやく范がたどり着きます。泣きながら駆け寄り、棺を叩いて別れを告げた范が引き綱を手にすると、棺は初めて動き出したというのです。その後、范は墓所の傍らに寝泊りして、張の為に塚や植木を整えたというのですから、並々ならぬ思いがあった事がわかります。

『秋成の研究』によると、『古今小説』や『警世通言』にある「范巨卿鶏黍死生交」は、農村出の二人が役人を目指して科挙の試験に向う途上、病に倒れた范を張が看病するという、『雨月物語』の元になったと思われる話になっているそうです。

范の回復を待つうち、試験の期日は過ぎてしまいましたが、范はそこまでしてくれた張に感謝し、二人は義兄弟の盟を結びます。やがて張の元に戻る事を約して范は故郷に帰り、約束の期日を守るために命を落とす、という展開になるわけです。こちらでは死んだ事を告げに来るのは范の方で、葬儀に駆けつけるのは張です。でもその後が、凄い。何と張は范の後を追って死に、遺言により同じ墓に葬られるという結末なのです。それを伝え聞いた後漢の明帝は、科挙を通って出仕した訳でもない二人に位を授け、その信義を讃えた、という事になっています。

秋成もさすがにそこまでは書く気になれなかったのでしょうね。信義の美徳のお話も、後追い自殺して同じ墓に入るって所までいくと、日本人的美意識に合わなくなりそうです。JUNE的美意識にはマッチするかもしれないですが、江戸文学的には後追い自殺より敵討ちだったんですね。とは云え、たった一人で赤穴従兄弟の屋敷に乗り込んだ左門の行動は、下手したら返り討ちに遭うという意味で命がけだし、成功しても社会的に認められない逃亡者になるしかない行為です。秋成も原話の結末に心動かされる部分はあったのでしょう。

それから、秋成が物語の舞台に選んだ出雲では、16世紀に尼子経久が城主を騙し討ちして城を乗っ取ったという史実があり、尼子の家臣には赤穴氏もいたそうです。しかし、宗右衛門とその従兄弟は架空の人物で、『雨月物語』でのお話は中国の小説を翻案した秋成の創作の様です。すると小泉八雲の「菊花の約」も、出雲松江の伝承などではなく、出典は『雨月物語』という事になります。

「新潮日本古典集成」の解説で浅野三平さんは、『雨月物語』を「執着の文学」だと言っておられました。自ら命を懸けて信義を伝えた「菊花の約」の二人は、不信不遇の内に命を落とした『雨月物語』の他の人々以上に、究極の執着を現しているのかもしれません。
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妖しい『雨月物語』
2006-09-11 Mon 02:46
朗読CD「雨月物語~菊花の約~」のサイトであらずじを読んでみたら、原作がとっても気になったので、地元図書館に行って、古典『雨月物語』を探しました。他に、現代語訳の『大庭みな子の雨月物語』(集英社文庫1998年8月発行)も借りてみました。

赤穴宗右衛門は、出雲の主君の命で近江(滋賀県)の佐々木氏の所に行ってる間に主君を尼子経久に討たれてしまい、尼子に肩入れする佐々木氏の元を逃れて出雲へ帰る途中、播磨で病に倒れてしまったんですね。それを看病したのが丈部左門だったんです。宗右衛門は命の恩人である左門に大変恩義を感じます。左門も宗右衛門の品性卑しからぬ人柄に触れ、また共に軍学を習得する者としてその知識の豊富さをも知って、心から敬愛の念を抱くようになりました。それで二人は義兄弟の盟をする訳なんですね。

その後の話はほぼ八雲版と同じですが、赤穴の従兄弟との遣り取りがより詳しく書かれていて、左門が従兄弟の不義を糾弾している内容がわかります。経久が左門を追わせなかったというのは同じで、最後に「軽薄な人と交わりを結ぶべきではない」としめられています。これは二人の信義を重んじた関係をたたえる意味を持っているいるようです。

これで二人の関係は納得なんですが、それに加えてJUNE的妄想を交えた現代語訳作品を見つけました。峰原うらら著『世にも妖しく恐ろしい 雨月物語』(青春出版社2000年7月発行)です。挿絵がJUNE誌上でも活躍された山本タカトさんで、妖しく怖い雰囲気が一層引き立っています。『菊花の約』では、原作には全くそんな記述がないのに、魂となって現れた宗右衛門を、左門が押し倒しちゃうんですよ・・・。しかも死霊なのに抱き締め返して来るし・・・。

あと、これは原作もそういう内容なんですが、僧侶が寵愛していた稚児に死なれ、その死骸に添い寝したあげく肉を食らうという、『青頭巾』という話もありました。その描写と山本タカトさんの絵が凄いです。それからこれは男女の話ですが、『道成寺』のもとになってる話じゃなかろうかという『蛇性の淫』なども、その執着度にJUNE的な雰囲気があります。明るいBL好きな方にはお薦めできませんが、興味がある方は図書館で探してみて下さい。
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菊花の約(ちぎり)
2006-09-09 Sat 14:35
小泉八雲 著 / 平川祐弘 訳
『小泉八雲作品集3』(河出書房新社1977年8月発行)所収
私が図書館で借りたのはこの本と、『約束を守る』という題名で所収されている『十六桜 小泉八雲怪談集』(研文社1990年9月発行)ですが、他にも複数の八雲作品集に同じ話が入っていると思います。6頁程の短編です。
「秋の初めには戻るだろう」
今を去る数百年昔のある春の日、所は播磨の国(兵庫県)。赤穴宗右衛門は義弟の丈部左門にそう別れを告げた。宗右衛門は出雲(島根県)出身の武士で、故郷を訪れることになったのだった。左門が、
「出雲は遠いので、何れの日にお帰りになるか約束していただくのは難しいでしょうが、もしその日を知ることが出来れば嬉しいです。帰国を祝う用意をして門前でお迎え致します」
というと、宗右衛門は、
「私は旅慣れているので予定もたてられる。重陽の佳節の日としたらどうだろう」と提案した。
「九月九日ということですね」
左門は確認し、母とともに涙を浮かべて宗右衛門を見送った。

月日はたちまちに過ぎ秋が来た。九月九日の早朝から、左門は義兄を迎える準備を始めた。それを見た母は、
「出雲は遠いところ、予定通りに戻るとも限らないのだから、帰るのを待ってから支度をしたらどうですか」
と忠告したが、左門は聞かなかった。
「義兄上は約束を破るような武士ではありません。もし帰ってから支度を始めたりしたら、義兄上の言葉を疑っていたことになってしまいます」

しかし、昼過ぎても待つ人の姿は見えず、やがて日は暮れてしまった。
「今夜はもう休んで、明日また待てばよいでしょう」
という母を先に寝かせ、左門は一人宗右衛門を待った。けれど、夜が更けても帰っては来なかった。もしや・・・、と諦めかけたとき、遠くから軽々と足早にこちらへ向う男の姿が見えた。それは待ち人宗右衛門であった。

喜んで母を起こそうとした左門を制し、饗された酒肴にも手を付けず、宗右衛門は帰りが遅くなった理由を静かに語りはじめた・・・。
怪談集にあるお話しなので、大方察しは付くと思いますが、戻ってきた宗右衛門は生身の体ではありません。出雲を訪れた宗右衛門は、新領主尼子経久の家来になっていた従兄弟の願いで、経久に会いました。ところが、新領主に仕える気は無い事を告げると、経久は従兄弟に命じて宗右衛門を監禁させてしまいます。いくら願い出ても許されず、見張りも多くて抜け出す事も出来ぬまま、約束の日となってしまいました。

「人は一日に百里を歩く事は出来ないが、魂は日に千里を行く」
という言い伝えを思い出し、宗右衛門は左門との約束を命がけで守ったのです。残された左門は出雲に赴き、従兄弟を切って宗右衛門の敵をとった後、姿を消しました。しかし経久は、家来たちに左門を追わない様に命じた、ということです。

本当に短いお話です。宗右衛門と左門がどういう義兄弟なのか、出雲出身者が何故播磨に居るのか、という説明もありません。二人の武士の信頼関係がどうしてこんなに強かったのか、具体的なエピソードなどもまるで描かれていません。二人の年齢もわかりませんが、共に妻子がいる様子はありません。登場する近親者は、左門の母と宗右衛門の従兄弟だけです。

この物語を知ったのは、多分高校の授業でだったと思うのですが、実は作者が誰だったのかすっかり忘れておりました。でもその内容は印象に残っていました。もともとの伝承は知りませんが、上田秋成が『雨月物語』に書いているお話でもあります。木原敏江さんがそれを漫画にされてるそうなので、そちらも読んでみたいです。『雨月物語』の方には、もう少し詳しく二人の事が描かれているかもしれません。

それにしても気に掛かる宗右衛門さんと左門さんの篤すぎる信頼関係。それから、家来になってくれないからって監禁しちゃう尼子経久の仕打ち、というか宗右衛門への執着って凄くないですか。とか、高校生の頃はBL系ジャンル(当時は耽美とか少年愛?)には全く興味がありませんでしたが、今となってはしっかりBLアンテナに引っかかるお話だと思います。

今日は9月9日、この話の旧暦とちがって太陽暦のですが、重陽の節句というと『菊花の約』を思い出します。

P.S.
上を書いた後に検索してみたら、声優の石田彰さんが朗読CD「雨月物語~菊花の約~」を出されているそうです。このリンクのあらすじに、二人の出会いが書かれてました。なるほど。尼子経久は只の敵か・・・。
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